カルロス・ロサーダ
カトリックの高校と大学に通い、かつてミサの補佐役も務めたペルー系米国人であることを、私はようやくクールだと感じられるようになった。
いつか私の時代が来ると思っていた。
5月8日にロバート・プレボスト氏(現ローマ教皇レオ14世)が選出されたことは、母の言葉を借りれば、神からの贈り物だ。新教皇は米国生まれながら、私の母国ペルーで長年活動し、ペルー国籍も取得した。私の妻がテレビを見つめながら、信じられない様子で「米国人の教皇なの?」と尋ねた。私は答えた。「ペルー人の教皇だよ!」と。
新教皇が米国人であることには私も驚かされ、すぐにこの選択の政治的・象徴的な意味について考え始めた。米国内の教会の分裂にとって、世界における米国の道徳的な指導力にとって、フランシスコ前教皇が次世代に残した業績にとって、この選択は何を意味するのか。これはジャーナリストとしての、そして先を見据える観察者としての私の反応だった。
しかし、レオ14世がペルー人でもあるというもう一つの事実は、私を過去へといざなった。プレボスト氏が司教を務めていたペルー北部沿岸の町チクラヨの信者たちのこと、当時の信徒たちが彼の選出を知って感じているに違いない喜びに、私は思いをはせた。リマで私や姉妹、そして一世代上の母を導いてくれた米国人の神父、修道女、信徒たちのことも思い出した。1985年、私が13歳のときにヨハネ・パウロ2世がペルーを訪問した際に、屋外で行われたワールドユースデーのミサのことも思い出した。とても暑い日で、係員が私たちに向けてホースで水をまく中、私たちはこう叫んだのだった。「フアン・パブロ、アミーゴ、エル ペルー エスタ コンティーゴ!」(「ヨハネ・パウロ、友よ、ペルーはあなたと共にある!」という意味だが、スペイン語の方が韻を踏んでいて響きがよい)
米国とペルー、二つの祖国
こうした思い出が去来したの…